東京オリンピックに関する紛争とCASのスポーツ仲裁による迅速な紛争解決

1 はじめに

 1年延期となっていた東京オリンピックが2021年7月23日に開幕しました。オリンピック競技での華々しいアスリートの活躍がある一方で、オリンピックの代表選考/出場資格に関する紛争やアスリートへの処分を巡るニュース[1]も見受けられます。オリンピックに出場予定であったアスリートが、オリンピック直前に出場停止処分などを受け、それについて不服がある場合、どのような救済手段があるのでしょうか。

 本稿では、オリンピックを巡る紛争に関するスポーツ仲裁裁判所(CAS)の特別な手続について解説いたします。



[1] パラリンピックの陸上男子走り幅跳びに出場予定のドイツのマルクス・レーム選手が2021年7月20日頃に、CAS(スポーツ仲裁裁判所)にオリンピックへの出場を求めて提訴したものの、7月23日頃に訴えを棄却(却下と表現した報道もありました)する旨の決定が出た、というものがありました(なお、2021年7月25日時点で、この件はCASのウェブサイトで公表されておらず、報道の真偽は確かではありません)。報道のとおりであるとすれば、レーム選手がスポーツ仲裁裁判所に提訴してから、わずか3日程度で、裁判所の判断が示されたことになります。

2 スポーツ仲裁裁判所(CAS)とは

 スポーツ仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport)はスポーツ関連の紛争を仲裁・調停手続により解決する国際的紛争解決機関(本部はスイス・ローザンヌ)であり、その頭文字を取って一般に「CAS」(キャス)と呼ばれていますので、本稿でも以下「CAS」と呼びます。

 CASはスポーツに関する紛争解決の最高裁判所とも位置付けられる機関であり、国際的なアスリート・スポーツ団体に関する様々な紛争が持ち込まれます。CASでは仲裁人が裁定を行います。仲裁人の候補者リストがCASのウェブサイトで公表されており、世界各国の弁護士や大学教授等が主に候補者になっています。

 そのCASが、オリンピック時に、オリンピック開催地に臨時の特別部を設立し、この特別部でオリンピック直前及び開催期間中に発生した紛争を迅速に解決できるようにしています。この特別部は夏季五輪だけでなく冬季五輪でも設置されます。この臨時の特別部を「CAS Ad Hoc Division」といい、本稿ではこのCAS Ad Hoc Divisionでの手続について説明をします。

3  CAS Ad Hoc Divisionの審理対象となる案件

 CAS Ad Hoc Divisionでよく取り扱われる案件としては、選手の出場資格・代表選考、競技中の審判の判定、選手に対する処分、ドーピング等があります。なお、競技中の審判の判定に対する不服は、例外的な場合を除きCASでの審判対象になりません[2]

 CAS Ad Hoc Divisionでは、オリンピック直前及び開催期間中の紛争を迅速に解決するために後述のとおり、迅速かつ柔軟な手続が定められています。

 一口にオリンピックに関する紛争といっても、このCAS Ad Hoc Divisionでの審理対象となる案件は限定されており、オリンピック直前及び開催期間中の紛争のみが審理の対象となります。具体的には、以下の2つの要件を満たす紛争である必要があります。

① IOC憲章[3]61条の対象となる紛争であること、及び

② 当該紛争が、オリンピック競技大会の期間中またはオリンピック競技大会の開会式(東京大会の場合2021年7月23日開会)に先立つ10日間(東京大会の場合は2021年7月13日以降)に生じたものであること、

 通常、オリンピックに関する各国オリンピック委員会や競技団体との紛争であれば①の要件を満たすことから、CAS Ad Hoc Divisionに提訴できるかどうかは、②要件を満たすかどうかがポイントになり、これを満たさないと、管轄(jurisdiction)がないものとして訴えが却下されることになります。

 例えば、オリンピックの1か月前に代表選考がなされて候補者に選考結果が通知された場合には、この要件は満たしません。他方、オリンピック開幕の10日前に代表選考がなされその結果が選手に通知された場合には、この要件を満たすことになります。

 応用編として、オリンピックの1か月前に代表選考がなされたものの、候補者に通知がなされたのが開幕の10日前であった場合は、②を満たすかどうか、解釈の余地があるものの、満たすと判断したCASの裁判例[4]があり、この考え方が実務的にも浸透していると思われます。



[2]審判の判定への不服を理由とするCASへの提訴は、(原則CASでの審理対象とならないものの)過去の大会で一定数みられました。もっとも、2020東京大会については、多くの競技でビデオによる判定や審判の検証が用いられていることから、審判の判定への不服を理由とするCASへの提訴は過去の大会に比べて減ることになりそうです。

[3] https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2018.pdf 

[4] (OG Turin) 06/002 [Andrea Schuler v. Swiss Olympic Association & Swiss-Ski]等

4 CAS Ad Hoc Divisionでの迅速な審理

 出場資格やドーピングをはじめとしてCAS Ad Hoc Divisionの審理対象となる案件の中には、競技が行われる日までに解決しないと当事者が実質的に救済されない、といったものがあるため、迅速な判断・解決が求められます。そこで、CAS Ad Hoc Divisionの審理には通常のCASでの手続と異なった、特別な手続・ルールが適用されます。以下のその中でとりわけ特徴的と思われるものを説明します。

(1) 申立てから24時間以内の判断(原則)

仲裁申立てから24時間以内に判断をするものとされています(CASオリンピック仲裁規則18条)。もっとも、実務的には24時間以内に仲裁廷が決定を出す事例はそれほど多くはなく、決定までに数日あるいは10日程度要する事例もあります。

事案の性質上、殊に迅速な解決が求められる案件(例えば、出場資格を巡る紛争で、競技が2-3日後に予定されているような場合)については、24時間以内に判断が出されることもあり、24時間以内に判断が出されないにしても、迅速な審理判断が試みられます。

(2) 主張・立証の機会

関係者への(ショート)ノーティスを経て、ビデオ会議や電話会議を活用した裁判所でのヒアリングが開かれます。通知がショートノーティスであることから、関係者がヒアリングに出席しない(できない)ケースもありえますが、そのような場合でも、仲裁人は手続を進めることも可能とされています。

ヒアリングでは、当事者への審尋がなされ、事案に応じて証人への尋問等がなされることがあります。ヒアリングが具体的にどのように進められるかは、仲裁人の権限によって決められます。

また、管轄を有しない旨の抗弁は、遅くともCAS Ad Hoc Divisionでのヒアリングが開始するまでに提出する必要があるとされます(以上、CASオリンピック仲裁規則15条)。

(3)仲裁判断

判決は(電子メール等で)当事者に通知された時点ですぐに効力を生じることになります。迅速性を重んじる手続の性質上、仲裁人は、判決主文のみを先行して当事者に通知して判決の効力を生じさせ、理由を後回しにすることも可能とされています(CASオリンピック仲裁規則19条)。

仲裁判断に不服がある場合、判決が通知された日から30日以内にスイス連邦最高裁判所に対してのみ取り消しを求めて上訴することができます(CASオリンピック仲裁規則21条)が、スイス連邦最高裁判所の手続には少なくとも数か月かかり、また、取消事由も限定されていることから、CAS Ad Hoc Divisionでの判断が重要な意味、つまり、事実上の終局的判断としての意味を持つことになります。

5 まとめ

 以上のとおり、CAS Ad Hoc Divisionの手続はオリンピック用にカスタマイズされた迅速な紛争解決方法であり、アスリートやスポーツ競技団体に実効的な救済の機会を付与するものです。本稿が、CAS Ad Hoc Divisionの制度の周知、そして、アスリートや競技団体を巡るオリンピックに関する紛争の迅速かつ実効的な解決の一助となれば幸いです

以上



(作成日:2021年7月26日)

文責:弁護士法人大江橋法律事務所 弁護士 宮本 聡
   

本稿は法的助言を目的とするものではなく具体的案件については別途弁護士の適切な助言を求めていただく必要があります。
本稿記載の見解は執筆担当者の執筆当時の個人的見解であり、当事務所の見解ではありません。

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